2009年2月3日火曜日

プリンスホテルバイエルン

すごく親しかった後輩と会って行っちゃいました。
最近、急激に体重が増えてきて危険な状況なのに4日前食べ放題行く約束をしました。
私、本当に食べるために生きているんだもん。
それで、今日のために3日前から朝1時間の散歩を始まりました。

インターネットで割引クーポン(ランチ2000円が1800円に!!http://www.hotpepper.jp/A_20700/strJ000005705.html)も用意し、
11時20分池袋で待ち合わせ、サンシャインシティプリンスホテルへ!!

キャー!!私の大好きなカニが山盛り!!!
ポン酢につけて食べるカニは本当においしい。
飽きるまで食べるぞーという目標を持って行きましたが、
食べても食べても飽きれない!お腹が爆発直前になってやめました!
飽きることは出来なかったけど、凄い達成感!!幸せ!!

今日、日本人は小腹!!って嘘ということを最実感!!
本当に写真でも撮って置きたいくらい山盛りして食べている人ばかり。。
小柄の若い女の子たち組みも怖いくらい食べ尽くし。。。
あれなら、赤字なのでは。。。ちょっと心配になりました。
赤字経営で店をやめる前、また行かないと。
朝の散歩止められない。。。(笑)

2009年1月30日金曜日

数学始めました。

私を苦しめたレポートもすべて終わり、やっと休みに入りました。
v(・_・)v
それではじめました。
数学。。
「MBA取得のための数学講座」を27,000円払って登録しました。
アメリカのMBAで使っている本で授業をやっています。
それで最初から最後まで英語でなっています。
ここまで読んだら偉いなと思えるでしょう。
実は私自分も偉いと思っています。
小遣いが一ヶ月40、000円の私には27,000円って本当に大金です。
お陰で飲み会とか遊び全然行けません。

今日お金の価値って数学という数値で証明できないことを経験しました。
昨日から風邪気味でした。
今朝起きたら鼻ものども体も本当に辛かったです。昨夜飲んだ風邪薬が最後でした。
薬さえなくって辛い一日でしたが、私の大切な27,000円が思い浮かんで、
体が自動的に起き上がり学校に行きました。
本当に変ですよね。
学期中はいつも授業より体を優先したのに。。
学費ってより高いから忘れてしまうのでしょうか?

もう少しで、新しい学費の振込票が届き、それを見ながらダメ息をすることになると思いますが。。。
想像するのも嫌なです。。円高で韓国の貯金日本円に換えると前の半分しかなれない。T T

2月から4月までは休み無しでバイト。。。5月末くらいでやっと払ったら、また忘れてしまって、またサボるでしょうね。フ~ 人生ってこんなものでしょう。

2009年1月12日月曜日

フェルマーの最終定理


 フランスの法律家で数学者のピエール・ド・フェルマーは1630年代(30~40才頃)に、ギリシア時代の数学者ディオファントスの「算術」という数論の本を読み、気付いたことを欄外の余白に書き込んでいた。(1637年頃といわれている)

‘xⁿ+yⁿ=zⁿ
n≧3の場合、
自然数X、Y、Zは存在しない。
私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない。
 17世紀のアマチュア数学者ピエール・ド・フェルマーの謎は、一見簡単そうに見えるこの定理であるが、多くの数学者の挑戦を350年に渡って退けてきた。 
 1995年イギリスの数学者アンドルーワイルズの完全証明に至る波乱のドラマを軸に、3世紀に及ぶ数学者たちの苦闘を描く、感動の数学ノンフィクション!
 数学が嫌な人々に呼んでほしい本!
 計算することも好きだったし、論理的で明確な答えが出る数学が好きだった。難しい問題でも答えはでるから、難しい問題ほど時間をかけて解けることが好きだった。だが、中3から、ダンダン入試のために覚える公式も増えすぎ、入試のための数学になった数学が大嫌いになった。
 私、子供のごろから覚えるのが苦手で、文字を覚えるの他の人より随分時間がかかって両親に心配かけたこともあるし、名前や電話番号、なかなか覚えられなかった。今の変わらないけど。。 ある担任先生、私が暗記が苦手で覚えようとしないということで両親に通信表で知らせたことがあって、凄く起こられた記憶もある。

 とりあえず、大嫌いになった数学が大学に入ってからまだ魅力を感じ始めた。意外と面白い数学者も多い。凄く計算的、理論的、論理的、なんとなく冷たいイメージが多いだったが、純粋で情熱とかとんでもない人々も多かった。そして、数学の素晴らしい説得力とその構造。

 それで、統計とファイナスとが好きになった。が、、問題が基礎不足。。。先生は難しい公式とか覚える必要はなく、概念だけを理解すれば良いといっているけど、それを理解するには自分で証明しなきゃ。。その時、いつも道中で高校までの基礎知識を要することが多い。必要になると思ったら、我慢してやったかも。

 今度の春休みに数学勉強しようかなと思っている。

 もしかしたら、趣味で数学やって有名な数学者になったピエール・ド・フェルマーようになれて、私もできるかも。ヒヒヒ。。

2009年1月11日日曜日

麻生首相韓国を公式訪問両国経済界の連携アピール

麻生太郎首相は11日午前、韓国公式訪問のため、ソウル空軍基地に到着した。麻生首相の訪韓は就任後初めて。首相は同行した日本経団連の御手洗冨士夫会長、日本商工会議所の岡村正会頭らとともに、韓国の経済団体が主催する昼食会に出席し、両国経済界の連携を強くアピールした。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090111-00000005-maip-pol
 この記事を読んだ時、福田慎一(東大教授)の「金融危機下の日本経済/アジアとの連携に活路を」論文が思い出した。
内容をまとめると

*世界の現況
 今回の危機は徐々に世界各国の実体経済にも深刻な影響を及ぼし始めている。実体経済は金融・資本市場のように一瞬で大きな変化があるわけではないが、危機の進行はボディーブローのように実体経済をむしばみ、やがて雇用悪化や消費低迷といった深刻な事態をもたらす。
グローバル化で世界貿易量は飛躍的増加、世界の輸出額は最近の5年間だけでも約2.6倍に増加した。
 グローバル化した世界経済は一国の経済の低迷で負の連鎖が働き、世界各国の輸出を停滞させる。

*日本の現況
 2000年代初頭に6%程度だった中国向けの輸出シェアは昨年15%を突破。2000年代に入ってからのアジア向け輸出のシェアの増加は、中国向け輸出によるところが大きい。02年以降の外需主導の日本の景気回復は、中国向け輸出が大きく貢献した。
 昨年来、円の対ドル相場は円高となっている。10月は円は対ユーロでも大幅に上昇、各国の為替レートを相手国・地域間への輸出ウエートで加重平均した実効為替レートでみても円高が進んだ。だが円高が始まった07年1月以降で見ると、物価の影響を考慮した実質実効為替レートは、円ドルレートほどには円高になっていない。こうした実質実効為替レートの動向は、アジア向け輸出が中心となる中、アジア諸国とのインフレ格差に加えて、人民元などの為替レートが他通貨ほど円高に振れなかったことを反映している。
 日本のアジア向け輸出品の中には、日本企業が中間財をアジアに輸出し、そこで加工されて米国市場で販売されるケースも多い。このため、米国経済がさらに悪化すればアジア向け輸出といえども、これまでのような順調な伸びが期待できるかどうかは予断を許さない。だが、他の地域に比べ、アジア地域の修正は比較的小さい。今回の金融・資本市場の動揺がアジア市場に与えた影響はデカップリング(非連動)とまではいかないが、欧米に比べると小さかった。
 アジアの域内貿易のウエートは経済統合が進んだ欧州の域内貿易よりも大きくなったとの指摘もある。今日、アジア地域は欧米と異なる独自の経済圏を徐々に形成しつつある、といえる。

*今後の課題
 米国にすぐに巨額資金が流入し米国経済が力強い成長を回復するとは思えない。人口減少が見込まれる日本の国内市場の拡大も大きくは望めない。幸い、近隣アジア諸国は危機の影響を限定的にしか受けていない。日本は従来以上にアジア諸国との経済連携を進め、世界経済の難局をアジア経済圏の発展を通して乗り切る視点が重要だ。グローバルな実体経済が悪化する中、アジアとの連携強化は日本が今後成長を持続させる上で見逃すことのできない活路だといえる。

であった。
 歴史の問題などで被害意識を持ちつつアジア諸国と、アジアの中で独歩的世界にそそり立った日本の間の分厚い壁が崩れざる時代になってきたと思っていた私には凄くうれしい論文であり、記事であった。
 まだ日本と他のアジア国とは大きな経済のキャップがあるのが事実であるが、お互いに同等な協力者と受け入れ連携することが、グローバル時代の主役として新たなアジアパワーを現せる方法だと思っている。
 より速く、色んなアジア連携モデルが広がってほしい。!!

2009年1月7日水曜日

コンフォートゾーン(comfort zone)

コンフォートゾーン : その人が安心できる居心地のいい領域のこと 人にはそれぞれコンフォートゾーンというものが存在する。 これはカナダの心理学、ブライアン・トレーシー(Brian Tracy)が提唱している理論。

ブライアン・トレーシーの主張は、このコンフォートゾーンにつかまってしまっていては、大成功することは難しいですよ、という事。

私の人生論というか、希望というか、基本的な考え方は、

できる限りコンフォートゾーンにナガ~~~~~ク。。ヒヒヒ

だから、私大成功とかできないかも。

けど、私はコンフォートゾーンでゆっくりするのが幸せで、大好き。

最近、私の最高のコンフォートゾーンは

ホカホカ、暖かい布団の中。

韓国は日本より寒いけど、 家全体が床暖房になっていて、凄く暖かい。

急に帰りたくなった。ㅠ ㅠ ダメダメダメ。

2009年始まったばかりなのにダメダメ!! 強くならなきゃ。。

年末連休、 私のコンフォートゾーンを満喫した結果

体重は2Kg増え、 レポートは期限は迫っているのにまだまだ。。

実は昨日から焦って徹夜。。今日も。。。??

やっぱりブライアン・トレーシーは、正しかった。

コンフォートゾーンにつかまってしまっていては、大成功することは難しい。

大成功することが難しいだけじゃなく、穴に落ちるかも ㅠ ㅠ

確かにコンフォートゾーンにつかまってしまうのは注意しなきゃ。。

特に来週までは精一杯我慢我慢。。

休憩終わり。ではまた、レポート。。

2008年12月25日木曜日

産業発展とものづくりの設計思想-「すり合わせ能力」過信禁物


柴田友厚(香川大学)の分かりやすい良い論文というか記事を読みました。

インテグラル型とモジュール型について分かりやすく説明していて面白かったです。

良い勉強になったので。。


柴田友厚は産業発展の過程を「製品アーキテクチャー」という視点から見ると産業の発展過程とは、製品アーキテクチャーを循環させながら次第に高度化していくプロセスであることが明らかになってきたといっている。

「製品アーキテクチャー」とは、製品をどのような構成要素に分割し、構成要素間をどのようにつなぐのかという設計思想のことで製品アーキテクチャは次の2つの型に分けられる。
1.構成要素間に緊密で複雑な相互依存関係が形成されている「すり合わせ型」と呼ばれる
インテグラル型 

(代表的な製品:車==>車は部品の関係が複雑で、細かい調整とすり合わせが必要) 

2.構成要素間の依存関係がルール化され独立性が高い「組み合わせ型」と呼ばれる モジュール型 
(代表的な製品:パソコン==>パソコンは標準化された部品を組み合わせることで、容易に製品ができる) 


産業の初期はインテグラル型で始まり、成長するにつれてモジュール型になる。そして、そのモジュール型は革新的要素技術により、またインテグラル型に移行する。つまり、インテグラルとモジュールは循環するとのことである。

日本企業はインテグラル型を得意とし、モジュール型が苦手である。日本企業が高度な調整能力を持つことは紛れもない事実であるが、調整能力に過度に依存することは、イノベーションの将来にとって危険である。



インテグラルからモジュールへの移行は、同じ技術体系の中で、デザインルールを次第に創造していく学習過程であり、モジュールからインテグラルへの移行は技術体系の転換を伴う意味でパラダイムの転換である。


2008年12月16日火曜日

配水管掃除と水漏れ

今日はマンションの配水管掃除日でした。
毎年1回か2回行われる層ですが、掃除の日私が家にいたのは初めてです。
11時15分一人が来て掃除をすることを知らせて入って来て家の置物などを確認し、もう一人目が青いシートを広げながら入り、次々人々が入って来て流し台、お風呂、選択置き場。。。
最後、作業周りの拭きで11時30分終わり。15分間で全部行ったので少し感動しました。

家の配水管掃除が終わったから、学校を行くために出かけました。
駅前で忘れ物に気がつき家に戻り、出かけるのが嫌になってやめました。
先週ほとんどの授業から課題が出されていて、今日からピンチなで急がないと。。
気配を入れました。『今から集中し、2科目の課題終わらせるぞ』
借り物で兄の部屋に入ったら、どこから小さい水玉が。
『。。。』
ダイニングの隣だけど、上層も同じ間取りの部屋。水もれはあり得ないと思った瞬間、壁に水が流れてきました。びっくりし上の5階と1階の管理人さんにまた家まで。。
こんな急ぐ時はいつもエレベータ来ないですね。。久しぶりに走りました。
部屋に戻ったら、もう水玉でも壁の水流れでもありません。天井から雨でした。私、その雨にぬれました。
その水は配水管の掃除水。。布団と服。。ハンガーにかけておいたカシミヤコート(涙。涙。涙。)
先の掃除やってた人たちの4人が戻ってきました。みんな唖然とした顔。。。
まずバケツ2。。タオル。。
エッ。。先掃除する時のすばらしい動きはどこに。。。?
『ちょっと待ってください』と言われて配水管掃除した水にぬれたまま30分待ちました。
偉そうな新しい人がカメラを持ちきました。あちこち調べながら、写真を撮りました。
原因は上の流し台からの配水管の漏れが電線のながれで兄の部屋に。。と偉そうな人が私は完全無視しながら、先掃除組の責任者と話、少しずつ腹が立ちました。
『また戻るから待ってください。』
『私まずシャワー浴びたいですが。。』
『戻ってくるから待ってください。』
1時間以上を待ちました。戻ってこないです。配水管掃除した水に濡れた私の髪と服は乾いていて、私は段々イライラになってきました。
結局、5時近く管理人さんに言って、やっとシャワーと着替え。。TT
掃除会社の人は5時30分に来て今日は上の部屋の工事したのでもうもれないし、後日連絡するといることで。。TT
本当に。。。爆発直前。。

とりあえず服はクリーニング、羽布団は今年の工場の受付が終わったということでそのまま持って帰ってきました。
私って本当についてないというか。涙涙
安い布団買いました。

管理人さんが言ってくれて、預けたクリーニング代と布団はマンションのオヤさんにもらうことになりました。TT。
部屋の掃除と天井、壁、やってくれると言いましたが断りました。
日本の工事とか、結構時間かかって色々めんどうくさいし、私が払わないないけどお金高いからもったいないです。

これ以上は本当にもう良いですと言いました。実はもう良いからほっといてくださいと言いたかったです。
しかし、電話が来ました。明日、写真撮りにくるっと言うことで。。
私今週全然ダメですと言いましたが、午前中に時間あまりかからないからよろしくと言われましたが、
私の立ち入りは断りました。私がいない時、管理人さんが私の変わりに立ち入りすることになりました。
家のマンションの管理人夫婦は最初あった時はちょっと怖かったですが、よく笑って本当にいい夫婦です。明日のことまでもう少し甘えます。^^

年末で色々忙しいなのに、今回の事件で選択物が山になっています。本当は全部クリーニングに預けたいでしたが、日本のクリーニング高いだから、普通に洗える物は私が直接やることにしました。

これで、今年の悪いことは終わりますように。。。

が、今週までの課題何もできませんでした。明日が来るの怖いです。